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大阪高等裁判所 昭和63年(ネ)2008号 判決

控訴人

右代表者法務大臣

梶山静六

右訴訟代理人弁護士

上原洋允

右指定代理人

杉浦三智夫

外三名

被控訴人

日本通運株式会社

右代表者代表取締役

長岡毅

右訴訟代理人弁護士

松川雄次

右訴訟復代理人弁護士

東川昇

右訴訟代理人弁護士

松村安之

冨島智雄

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、金一二八万五九五五円及びこれに対する昭和六一年四月二二日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

四  この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文と同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  控訴人は、訴外近畿運輸株式会社(昭和六一年二月二八日三急運輸株式会社から商号変更。以下「近畿運輸」という。)に対し、別紙租税債権目録記載のとおりの租税債権を有する。

2  近畿運輸は、被控訴人より、昭和六一年二月二一日から同年三月二〇日まで、自転車等の積荷作業・倉庫作業を、作業代金二四一万九八〇三円(支払期日昭和六一年四月二一日)で請け負った。

3  控訴人は、昭和六一年三月二五日、右1記載の租税債権を徴収するため、近畿運輸の被控訴人に対する右2記載の作業代金債権を差押え、同日債権差押通知を被控訴人に交付送達した。

4  被控訴人は、控訴人に対し、昭和六一年四月二一日金一一三万三八四八円を支払ったのみである。

よって、控訴人は、被控訴人に対し、差押による債権取立権に基づき、右作業代金債権の残額金一二八万五九五五円及びこれに対する支払期日の翌日である昭和六一年四月二二日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実は知らない。同2ないし4の各事実は認める。

三  抗弁

1  相殺予約に基づく相殺

(一) 被控訴人の運送業務の下請作業を継続して請け負っていた近畿運輸に対し、被控訴人の子会社である訴外日通商事株式会社(以下「日通商事」という。)は、運送用車両の燃料石油を継続して販売しており、昭和六一年三月二四日現在、日通商事は近畿運輸に対し、石油代金債権金一二八万五九五五円を有していた。

(二)(1) 昭和五六年ころ、被控訴人、日通商事及び近畿運輸の三者は、日通商事の近畿運輸に対する石油製品販売に関し、次のとおり合意した。

① (期限の利益の喪失)

近畿運輸において(a)手形小切手の不渡りが発生し、又は、支払を停止したとき、(b)差押、仮差押、仮処分、競売の申立を受けたとき、(c)破産、和議、会社更生、整理の申立がなされたとき、(d)営業を停止したときのいずれかに該当する場合は、近畿運輸は、日通商事からの通知催告なしに期限の利益を失い、直ちに日通商事に対する債務のすべてを支払わなければならない。

② (相殺予約)

日通商事は、近畿運輸に対する債権を、日通商事の親会社である日本通運株式会社各支店にある債務と相殺することができる。

(2) 昭和五六年ころ、日通商事及び近畿運輸の二者は、日通商事の近畿運輸に対する石油製品販売に関し、(二)(1)①②と同じ内容の合意をした。

(3) 昭和六一年二月一二日、被控訴人、日通商事及び近畿運輸の三者は、日通商事の近畿運輸に対する石油製品販売に関し、(二)(1)①②と同じ内容の合意をした。

(4) 昭和六一年二月一二日、日通商事及び近畿運輸の二者は、日通商事の近畿運輸に対する石油製品販売に関し、(二)(1)①②と同じ内容の合意をした。

(三) 右(二)の各合意に基づき、被控訴人及び日通商事は、日通商事の近畿運輸に対する債権で、近畿運輸に対する被控訴人の債務との相殺をなし得る権能を取得したものであるが、念のため、昭和六一年二月二八日、近畿運輸と被控訴人との間においても、同日現在の日通商事の近畿運輸に対する債権金一二六万〇一一一円について、右債権額の範囲内における被控訴人の近畿運輸に対する現在及び将来の債務と相殺する旨の合意をした。

(四) 昭和六一年三月二〇日、近畿運輸振出の約束手形が不渡りになった。

(五)(1) 昭和六一年二月二八日、被控訴人及び日通商事は、〈証拠〉の債権債務相殺承諾書を作成する際、近畿運輸に対し、日通商事の近畿運輸に対する昭和六〇年一〇月一五日から昭和六一年二月一三日までの給油代金債権金一二六万〇一一一円と、右債権額の範囲内における被控訴人の近畿運輸に対する現在及び将来の債務とを対当額において相殺する旨の意思を表示した。

(2) 昭和六一年三月二四日、被控訴人及び日通商事は、近畿運輸の営業所所在地において、近畿運輸の代表取締役小見山賀根雄に対し、日通商事の近畿運輸に対する昭和六〇年一〇月一五日から昭和六一年二月一三日までの給油代金債権金一二六万〇一一一円と、近畿運輸の被控訴人に対する昭和六一年二月二一日から同年三月二〇日までの作業代金債権金二四一万九八〇三円とを対当額において相殺する旨通知した。

(3) さらに、その後、右の他、控訴人の差押までに日通商事の近畿運輸に対する金二万五八四四円の債権があったことが判明したので、昭和六一年八月二一日、日通商事は、合計金一二八万五九五五円を相殺の対象とすることを近畿運輸に対して通知した。

(4) なお、念のため、被控訴人及び日通商事は、日通商事の近畿運輸に対する昭和六〇年一〇月一五日から昭和六一年二月一三日までの給油代金債権金一二六万〇一一一円と、近畿運輸の被控訴人に対する昭和六一年二月二一日から同年三月二〇日までの作業代金債権金二四一万九八〇三円とを対当額において相殺する旨の相殺通知書を近畿運輸に対して発したところ、昭和六二年四月二七日に到達した。

(5) また、昭和六三年二月九日の口頭弁論期日において、被控訴人は控訴人に対し、日通商事が近畿運輸に対し控訴人の差押前に取得した金一二八万五九五五円の石油代金債権をもって、控訴人の本訴請求債権と相殺する旨の意思を表示した。

2  当然相殺の合意

(一) 1の(一)と同じ。

(二)(1) 近畿運輸が日通商事から石油類を購入し始めた昭和五六年ころ、被控訴人、日通商事及び近畿運輸の三者は、近畿運輸において日通商事に支払うべき石油代金の支払能力の喪失を示すべき事由(1(二)(1)①(a)ないし(d)の事由と同じ)が生じたときは、右石油代金支払債務と近畿運輸の被控訴人に対する請負代金債権とは右事由の発生時に対当額において当然に差引計算される旨の合意をした。

(2) 昭和五六年ころ、日通商事及び近畿運輸の二者は、近畿運輸において日通商事に支払うべき石油代金の支払能力の喪失を示すべき事由(1(二)(1)①(a)ないし(d)の事由と同じ)が生じたときは、右石油代金支払債務と近畿運輸の被控訴人に対する請負代金債権とは右事由の発生時に対当額において当然に差引計算される旨の合意をした。

(3) 昭和六一年二月一二日、被控訴人、日通商事及び近畿運輸の三者は、近畿運輸において日通商事に支払うべき石油代金の支払能力の喪失を示すべき事由(1(二)(1)①(a)ないし(d)の事由と同じ)が生じたときは、右石油代金支払債務と近畿運輸の被控訴人に対する請負代金債権とは右事由の発生時に対当額において当然に差引計算される旨の合意をした。

(4) 昭和六一年二月一二日、日通商事及び近畿運輸の二者は、近畿運輸において日通商事に支払うべき石油代金の支払能力の喪失を示すべき事由(1(二)(1)①(a)ないし(d)の事由と同じ)が生じたときは、右石油代金支払債務と近畿運輸の被控訴人に対する請負代金債権とは右事由の発生時に対当額において当然に差引計算される旨の合意をした。

(三) 昭和六一年三月二〇日、近畿運輸振出の約束手形が不渡りになった。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1について

(一)の事実のうち、日通商事が被控訴人の子会社であることは認めるが、その余は知らない。

(二)(1)ないし(4)の事実はすべて争う。

(三)の事実は否認する。

(四)の事実は明らかに争わない。

(五)の事実のうち、(1)は争い、(2)は否認し、(3)は知らない。(4)については、日通商事がこのような通知を近畿運輸に発したという点は認めるが、被控訴人がなしたとする点については知らない。(5)は認める。

2  抗弁2について

(一)については、抗弁1(一)についてと同じ。

(二)(1)ないし(4)の事実はすべて争う。

(三)については、抗弁1(四)についてと同じ。

3  (昭和六一年二月一二日付け売買契約の不成立)

日通商事と近畿運輸は昭和六一年二月一二日付けで石油製品売買契約書(〈証拠〉)を作成しているが、その第五条及び第六条によれば、近畿運輸が差押等を受けたときには、日通商事は、何ら通知催告を要することなく当該売買契約を解除することができるとされている。近畿運輸は、右契約書作成日付前の昭和六一年二月四日、西神戸財務事務所の差押を受けていたから、右契約書作成日当時すでに右解除事由は発生していたのである。日通商事は、近畿運輸の倒産を予測して同社との石油等販売取引を停止することとし、昭和六一年二月一〇日(直営店は同月一三日)をもって同社に対する石油等の販売を停止した。しかるに、日通商事は、近畿運輸との継続的売買契約を解除するどころか、右石油製品売買契約書を作成したのである。

そうすると、日通商事は、近畿運輸に石油製品を販売する意思がなくなってから、右石油製品売買契約書を作成したのであるから、これに基づく売買契約は不成立となる。

そして、抗弁1(二)(3)(4)及び抗弁2(二)(3)(4)の各合意は、右売買契約の一部分を成すから、右各合意も不成立となる。

五  抗弁に対する控訴人の法律上の主張

1  (相殺予約の対内的効力)

抗弁1(二)(2)(4)において、日通商事と近畿運輸の二者間で、日通商事の近畿運輸に対する債権で近畿運輸の被控訴人に対する債権を相殺することができる旨の相殺予約の合意をしたと主張されているが、このような二者間の相殺予約の合意は効力を有しない。その理由は以下に述べるとおりである。

(一) 日通商事と近畿運輸との二者間の相殺予約によっては、右二者が互いに相手方に対して有する債権同士を相殺の用に供し得るにすぎないのであって、被控訴人自身も右相殺予約の当事者に加わっていない限り、日通商事の近畿運輸に対する債権で近畿運輸の被控訴人に対する債権を相殺することはできない。

(二) 原判決は「一般に、第三者による他人の債務の弁済が当該債務者の意思に反しない限り許されることは、民法四七四条の明定するところであり、等しく債務の消滅原因である弁済と相殺とを区別する理由はない。」と判示している。

しかしながら、相殺と弁済には以下の相違点があるので、両者を同一視できない。①相殺は法律行為であるが、弁済は非法律行為である。②差押との関係では、相殺は差押前に取得した債権であれば、差押の存在にかかわらず可能であるのに、弁済は差押後においてはその履行を一切禁止されている。③相殺には担保的機能(相手の資力が不十分でも自己の債権については他の債権者に優先して確実十分な弁済を受けたのと同様の利益が得られること)があるが、弁済にはこれがない。

第三者弁済の趣旨から、第三者がなしうるのは、弁済に限らず代物弁済や供託でもよいとされている。しかし、相殺については、第三者丙が甲に対する債権をもって甲の乙に対する債権と法定相殺することはできないと一般に解されている。それは、第三者が弁済をなしうるすべての場合に相殺することができるとすることは、対立する両債権の当事者間の公平をはかる相殺制度の趣旨を逸脱するからである(我妻榮・新訂債権総論三二三頁)。大審院昭和八年一二月五日判決(大審院民事判例集一二巻二四号二八一八頁)は、抵当不動産の第三取得者が抵当権者に対して債権を有する場合においても、その債権をもって抵当権者が債務者に対して有する債権と相殺することはできないとしている。右判例に対し、場合によっては相殺に民法四七四条の準用を認めるべきだとする見解もあるが、その理由は、物上保証人や抵当不動産の第三取得者(抵当債務の引受のない場合)のように責任を負うものについては、その責任を免れるためにその基礎となっている他人の債務について自己の有する債権との相殺を認めても差し支えないというところにある(中井美雄・注釈民法(12)三八八頁)。そうだとすると、この見解をとったとしても、相殺により自己の債務を免れることができるような利益が存在しない場合には相殺を認めるべきではないことになる。さらに、相殺に民法四七四条の準用を肯定する見解においても、少なくとも受働債権の債権者が破産状態にあるような場合には、債権者平等の原則から、第三者の相殺は許されないとされている(於保不二雄・債権総論(新版)三五三頁)。そして、本件においては、日通商事には本件相殺により自己の債務を免れることができるような利益がなく、近畿運輸は本件相殺予約締結時には既に差押を受けるなど破産状態にあったのである。そうすると、右いずれの見解の観点にたっても、本件相殺予約に民法四七四条を準用することは許されないというべきである。

(三) 原判決は、契約自由の原則により、有効な相殺契約は当事者が互いに相手方に対し負担する債務同士を相殺する場合に限らないと判示するが、本件において日通商事と近畿運輸との二者間における契約が有効だとすると、近畿運輸の一般債権者に不測の損害を及ぼしかねないばかりか、私人間の契約によって差押不可能財産をつくり出すことになり、不相当である。最高裁判決昭和四五年四月一〇日民集二四巻四号二四〇頁は、譲渡禁止特約付の債権も差押債権者への転付命令によって移転すると判示して、一般債権者の利益を保護し、強制執行制度の機能の確保を図っているが、右法理は本件にも及ぶべきである。

(四) 原判決は、日通商事と被控訴人が親子会社の関係にあることのみを理由にして債務者たる被控訴人の意思に反しないとしているが、債務者の意思は第三者が弁済する際に確定的なものであることが必要であり、また、これを認識しうる客観的な事情も相当に顕著なものであることを必要とすると解すべきであるから、単に親子会社の関係にあることから債務者の意思に反しないと解することはできない。

2  (相殺予約の対外的効力)

仮に、本件相殺予約が当事者間で有効であるとしても、右相殺予約をもって差押債権者である控訴人に対抗できないと解すべきである。その理由は、以下のとおりである。

(1) 相殺予約の対外的効力を全面的に肯定すると、差押債権者に不測の損害を与えることになる。法定相殺の場合には差押債権者は第三債務者が反対債権を有し、相殺権を行使することを事前に予測し得る(さらには予測すべきである。)うえ、事前にこれにつき確認することもさほど困難とはいえないから、相殺によって対抗されても必ずしも不測の損害を被るおそれがあるとはいえない。しかし、この場合と異なり、本件のような形態(自働債権の債権者が受働債権の債務者でない形態)の相殺予約は、公示性を欠くのみならず、一般に普及していない形態のものであるから、差押債権者がその存在を事前に予測することはまず不可能であり、また事前に反対債権の存否及びその金額等を知ることも困難であり、さらに民事執行法一四七条による第三債務者の債権の存否等に関する陳述(相殺についての陳述も含むと解される。)を期待することも、第三債務者が相殺権を有しない以上通常は困難である。したがって、本件のような形態の相殺予約の対外的効力を肯定すれば、差押債権者に不測の損害を与えるおそれが極めて強い。

(2) 最高裁判決昭和四五年四月一〇日民集二四巻四号二四〇頁は、譲渡禁止の特約のある債権に対する転付命令の効力について、「譲渡禁止の特約のある債権であっても、差押債権者の善意・悪意を問わず、これを差押え、かつ、転付命令によって移転することができるものであって、これにつき、民法四六六条二項の適用ないし類推適用をなすべきではない」と判示し、その理由として「譲渡禁止の特約のある債権に対して発せられた転付命令について、同法四六六条二項の準用があると解すると、民訴法五七〇条、六一八条が明文をもって差押禁止財産を法定して財産中執行を免れ得るものを制限的に特定し、同法六〇〇条が差し押さえた金銭の債権について差押債権者の選択に従い取立命令または転付命令を申請できる旨定めている法意に反し、私人がその意思表示によって、債権から強制執行の客体たる性質を奪い、あるいはそれを制限できることを認めることになる」ことを挙げている。

右判決は、執行法の大原則として私人間の特約で差押禁止財産を作出することはできないことを明らかにしたものである。本件相殺予約について差押債権者に対する対外的効力を認めることは私人間の特約により差押禁止財産を作出することになり、右大原則を逸脱することになる。

(3) 本件相殺予約は、自働債権を「甲(日通商事)の乙(近畿運輸)に対する債権」とし、受働債権を「日本通運株式会社各支店にある債権」としているだけでその特定が不十分であり、また、一定の事由が生じた場合当然に相殺の効果を発生させる趣旨か、相殺の意思表示により相殺の効果を発生させる趣旨か不明確であり、さらに後者の趣旨である場合には相殺権を発生させる事由が定められていない。

契約内容が不明確であれば、差押債権者等の第三者の地位を著しく不安定にし、不測の損害を被らせるおそれが強い。本件のような形態の相殺予約に対外的効力を認めるためには、少なくとも、自働債権及び受働債権の範囲、相殺の効力発生事由ないし相殺権発生事由が客観的かつ明瞭に定められていることを要すると解すべきである。

しかし、右のとおり、本件相殺予約は右の要件を充たしていないので、その対外的効力は否定されるべきである。

(4) 担保機能を有する相殺についての期待利益が第三者に対する関係においても保護されるのは、特に債務者の資力が十分でない場合に、相殺を否定すれば債権者が自己の債務の弁済を強制される反面、債務者の無資力のため自己の債権の満足を得られない結果になるのは不合理であるという点にあると考えられる。

ところで、本件の場合、日通商事は近畿運輸の無資力のため同社に対する債権を回収し得ないおそれがあるとしても、同社に対する債務は有しないから自己の弁済を強要されるということはなく、本件相殺予約の対外的効力が否定されたとしても、右のような不合理な結果は生じないのであるから、日通商事は本件相殺予約に基づく相殺について保護されるべき期待利益を有していない。

日通商事は、本件相殺予約に基づく相殺後、被控訴人から相殺により消滅した債権額相当の金銭の支払を受けることにより、近畿運輸に対する債権を回収したのと同様の結果を得ることができる。日通商事が、本件相殺予約当時、右結果につき期待をしていたとしても、被控訴人は本件相殺予約の当事者ではなく日通商事に対する右支払を約していないことを考慮すれば、右期待は単に事実上のものにすぎず、法的に保護されるべきものではない。

相殺の担保的機能を法的に保護すべき理由は、これにより保護される当事者の地位を尊重することにより、経済社会における取引を助長することに役立つことにもある。本件の場合、日通商事は近畿運輸との取引継続意思がなく専ら同社に対する債権回収の目的で本件相殺予約を締結したものであるから、本件相殺予約の対外的効力を認めても取引の助長に役立つことはない。

加えて、本件相殺予約は日通商事が近畿運輸の窮状に乗じ取引上の優越的地位を利用し他の債権者を排除して日通商事の債権を回収しようという詐害的意思の下に締結したものであり、その内容も日通商事にのみ有利なものであるから、本件相殺予約についての日通商事の期待は法的に保護するに値しない。

(5) 被控訴人は、自社に本件相殺予約に関して期待利益があったと主張しているが、そもそも債務者の相殺に対する期待利益とは、債務者の有する反対債権が実質的に回収できるということに対する期待利益であり、債務者が被差押債権の弁済を免れるということに対する期待利益ではない。本件の場合、被控訴人はその債務の弁済を免れるという期待を有していたとしても、回収すべき反対債権を有しないから、被控訴人には右にいう期待利益はないことになる。

また、被控訴人は、本件相殺予約の当事者ではなく、相殺権を行使するか否かは日通商事の意思に委ねられているのだから、本件相殺予約の対外的効力を肯定することにつき何ら固有の法的利益を有しておらず、仮に何らかの利益を有するとしても反射的な事実上の利益にすぎない。

(6) (最高裁判決昭和四五年六月二四日民集二四巻六号五八七頁(以下「四五年判決」という。)との関連について)

原判決は、四五年判決を引用し、相殺予約の対外的効力を否定したり制限したりする考えは採用しないことを宣言したうえ、「もともと差押債権者は、差押により債務者が第三債務者に対して有していた債権以上のものを手に入れられるわけではなく、あるがままの当該債権を確保するに過ぎないのであるから(中略)、特段の事情がない限り、差押前に締結された相殺予約の効力は、右債権に付着するものとして差押債権者にも当然引き継がれるべきもの」として、本件相殺予約の効力は差押債権者に対抗できると判示している。しかし、これは、四五年判決と本件事案との間にある次のような実質的差異を無視したもので失当である。

① 四五年判決の事案は、それぞれの債権債務の対立する債務者及び第三債務者がともに相殺予約の当事者になっているのに対して、本件では、三者間にまたがる債権につき第三債務者を除く二者のみが相殺予約の当事者になっている。

債権債務の対立している二当事者間の相殺予約では、そのいずれの債権が差押えられた場合でも、双方は相殺によって自己の債権を回収できる期待利益と自己の債務を免れる期待利益とを持ち、これは差押債権者に対する関係でも保護に値すると考えられる。

しかしながら、本件は、日通商事の近畿運輸に対する債権と近畿運輸の被控訴人に対する債権との相殺が日通商事と近畿運輸との間で相殺予約され、右相殺予約の当事者ではない被控訴人に対する債権が差押えられた事案である。この場合、被控訴人には(5)で述べたとおり自社の有する反対債権を回収できるという意味の期待利益がないから、相殺予約の対外的効力を認める実質的基盤が欠けているのである。

② 四五年判決における相殺予約の対象は、銀行とその取引先との間の定型的な銀行取引から生ずる貸付金債権と預金債権であり、当初から相殺の期待利益の高い債権といえる。

これに対し、本件の石油代金債権と作業代金債権は、右銀行取引のごとく定型性の高い取引の結果生じたものではなく、相殺の期待利益の高い債権とはいえない。すなわち、日通商事の近畿運輸に対する石油代金債権と近畿運輸の被控訴人に対する作業代金債権は、全く別個の契約から生じた本来無関係の債権であり、わずかに被控訴人と日通商事が親子会社の関係にあることによって、親会社のために作業する下請会社に燃料を供給するという関連がないわけではないが、右関連は内部的なものに止まり、もとより対価関係に立つわけではなく、到底一方の債権の不履行があるときには他方の債権で相殺することを、差押債権者との関係においても、合理的に期待しうるものではないのである。

四五年判決は、判文上「期待利益」に言及していないが、右のごとく定型的な銀行取引から生じた貸付金債権と預金債権の相殺予約の事案なので、相殺の期待利益が存することを前提にしていると考えられる。したがって、右のとおり期待利益を欠く本件のような事案にも四五年判決の判示事項が適用されると解するのは誤りである。

③ 四五年判決の事案における相殺予約の特約を含む銀行取引約定書は、その存在が銀行取引を行う者の間には広く知られているのに対し、本件のような相殺予約の存在はごく一部の関係者がこれを知っているにすぎない。

四五年判決は、右のとおり公知性のある相殺予約の事案についてその対外的効力を認めたものである。右判決の論理を公知性のない本件相殺予約に拡張するにあたって、原判決が債権にはもともと適切な公示方法がないことを理由とするのは、債権の公示の欠如が止むを得ざる結果であることを忘れたものであって、説得力に乏しい。

3  (当然相殺の合意の無効)

当然相殺の合意は、差押債権者の地位が不安定となるから無効である。

六  控訴人の法律上の主張に対する被控訴人の反論

1  (相殺予約の対内的効力)

被控訴人は相殺予約の当事者に入っていないが、被控訴人は相殺により近畿運輸に対する作業代金債務が消滅するという利益を受けるだけで、何らの不利益を受けない。したがって、民法四七四条の趣旨からしても、被控訴人が相殺予約に基づく相殺を承認する限り、日通商事と近畿運輸の二者で相殺予約をすることに何ら問題はない。

2  (相殺予約の対外的効力)

本件相殺予約に基づく相殺は、差押債権者である控訴人に対しても対抗できると解すべきである。

(1) 控訴人は、五2(1)で、差押債権者たる控訴人の不測の損害を強調しているが、結局これは差押以前の状態では控訴人が本件相殺予約の存在を知らなかったが故に、本件相殺が控訴人にとって不測の事態であるといっているにすぎない。法定相殺の場合、法定相殺というだけで差押債権者も相殺を事前に予測しうるとの主張は理解できない。

第三債務者に対する陳述催告の制度は、たしかに差押債権者の便宜を図るために設けられた制度であるが、第三債務者からの陳述の有無、時期、内容等によって実体的な権利関係に変更が生ずるものではない。第三債務者は、被差押債権の存在と支払意思のあることを陳述した後においても、反対債権をもって相殺することが可能である(最高裁判決昭和五五年五月一二日判時九六八号一〇五頁)。右制度が差押債権者の便宜を図るものであるとはいっても、右のごとき限界があるのである。本件相殺予約のような第三債務者が相殺予約の当事者でない場合は、第三債務者の陳述が不確かになることが指摘されているが、そのことは、対外的効力があるとされている三者間合意による相殺予約の場合においても同じである。

(2) 私人間の相殺特約で差押禁止財産を作出するのは、執行法の大原則を逸脱すると控訴人は主張するが、相殺の担保的機能(特約の対外的効力)を認める限り、相殺特約によって両債権が各当事者にとって相互に排他的責任財産を構成することになるのは当然であり(それ故相殺の「担保的機能」といわれるのである)、そのこと自体に問題はない。

(3) 控訴人は、本件相殺予約における自働債権及び受働債権の特定が不十分ないし不明確であると主張するが、これは差押債権者たる控訴人において事前に債権額等を知り得ないことを指摘しているにすぎない。このことは当然のことであり、何も本件相殺予約に限ったことではない。日通商事、近畿運輸及び被控訴人の三者間においては、相殺予約の対象となる債権の特定については疑問の余地がないのである。

(4) 日通商事は近畿運輸に対し債務を負っていないから本件相殺予約について期待利益を有しないと控訴人は主張するが、その論法でいけば、二当事者間の相殺でない限りすべて保護されるべき期待利益はないということになり失当である。

被控訴人と日通商事とは親子会社の関係にあり、被控訴人が近畿運輸に運送作業の下請を依頼し、その見返りないし引当てとして近畿運輸が子会社である日通商事から石油を買うというものであり、右運送作業請負契約関係と右石油売買契約関係とは相互に担保として期待しあい、もって関係者各自がそれぞれの立場で利益を確保しようとするものである。そして、右運送作業請負契約関係と右石油売買契約関係とが相互に担保として期待しあう関係にあることは、日通商事、近畿運輸及び被控訴人のいずれもが従前より認識していたところである。さらに、右のことは、本件相殺予約条項を含む石油売買契約書と同一内容の契約書が近畿運輸以外の運送業者と日通商事との間に取り交わされていたことによって、裏付けられる。

なお、控訴人は、本件相殺予約の時点で、日通商事には自己の債権回収のみを目的とする詐害的意図があった旨主張するが、右のとおり、従前より右運送作業請負契約関係と右石油売買契約関係とが相互に担保として期待しあう関係にあり、このことを日通商事、近畿運輸及び被控訴人のいずれもが認識していたのであるから、本件相殺予約は右三者の認識を書面化しただけであり、特にその時点で日通商事に詐害的意図があったとするのは、誤りである。

(5) 控訴人は、被控訴人が本件相殺予約の当事者でないから、期待利益を有しないと主張するが、これは単なる形式論である。

(6) (四五年判決との関連について)

① 控訴人は、四五年判決が期待利益の存在を相殺予約の対外的効力を認めるための実質的基盤であるとしていると主張し、右判決の射程距離を制限しようとしているが、右判文中にそのような期待利益に言及した部分はないから、控訴人が主張する右射程距離の制限には理由がない。

② 四五年判決における相殺予約の対象である定型的な銀行取引から生ずる貸付金債権と預金債権は、相殺の期待利益が高いといえるのに対し、本件の石油代金債権と作業代金債権は、相殺の期待利益の高い債権とはいえないと控訴人は主張し、その理由として右両債権が全く別個の契約から生じた本来無関係の債権であることを挙げるが、銀行取引から生ずる貸付金債権と預金債権もその発生原因は別個のものである。本件の両債権間の緊密な関連性は(4)で述べたとおりであり、また、本件の両債権について相殺までの決済が個別になされていたとしても、それによって相殺の期待利益が弱まるものでもない(銀行取引においても、貸付金債権と預金債権は、約定の一定の事由が発生するまでは相殺されず、それぞれが利息を生じながら存続している。)。

③ 各取引ごとの個別事情を無視し、相殺予約の対外的効力を認めるための要件として、いかなる取引においても銀行取引約定書と同程度の公知性を要求するならば、相殺予約の対外的効力が認められる場合は極めて限定され(銀行取引以外どんなものがあるのか想定し難い)、相殺の担保的機能は銀行のみに独占的に付与された担保権ということになってしまう。本件相殺予約に銀行取引約定書と同程度の公知性を要求することは不可能を強いるものである。最高裁判決が公知性を相殺予約の対外的効力を認めるための要件として掲げないのは、かかることを考慮したからである。

3  五3の控訴人の主張(当然相殺の合意の無効)を争う。

七  再抗弁

1  (昭和六一年二月一二日付け売買契約についての錯誤)

仮に、昭和六一年二月一二日付け売買契約が成立するとしても、近畿運輸の真意は向後一年間石油製品を購入することにあったのに、日通商事には右前記四3のとおり近畿運輸に対し石油製品を販売する意思は全く無かったのであるから、近畿運輸には右売買契約をするにつき要素の錯誤があったといえる。それゆえ、右売買契約は民法九五条の錯誤により無効となる。

そして、抗弁1(二)(3)(4)及び抗弁2(二)(3)(4)の各合意は、右売買契約の一部分を成すから、右各合意も無効となる。

2  (昭和六一年二月一二日付け売買契約についての心裡留保)

日通商事には近畿運輸に対して石油製品を販売する意思がないことを近畿運輸が知って右売買契約をしたとすれば、右売買契約は民法九三条の心裡留保により無効となる。

そして、抗弁1(二)(3)(4)及び抗弁2(二)(3)(4)の各合意は、右売買契約の一部分を成すから、右各合意も無効となる。

3  (公序良俗違反)

右売買契約及び抗弁1(二)(3)(4)の相殺予約は、公序良俗(民法九〇条)に反し無効である。

すなわち、近畿運輸の代表取締役鎌田俊治が昭和六一年二月上旬車両の名義貸し等道路運送車両法違反で警察に逮捕されたため、近畿運輸は、営業の停止や自動車運送事業の登録取消などの処分を受けるかもしれず、ひいては倒産の危機に瀕することが予測された。さらに、近畿運輸が昭和六一年二月四日神戸財務事務所によって被控訴人に対する作業代金債権を差押えられたので、被控訴人の子会社である日通商事は近畿運輸が引き続きその債権者から差押を受けるだろうと予測していた。近畿運輸との石油販売取引を停止することとなった日通商事は、近畿運輸に対する石油代金債権を回収するため、近畿運輸に対する右石油代金債権と近畿運輸が将来被控訴人に対して取得するであろう作業代金債権とを相殺することを企て、今後近畿運輸との石油販売取引を継続する意思がないのにこれがあるかのごとく振る舞って右代表取締役鎌田俊治を欺罔し、前記石油製品売買契約書〈証拠〉を作成し、右相殺の予約を書面化した。そして、被控訴人は、近畿運輸との主要な積荷作業取引を停止したにもかかわらず、日通商事の右債権回収に必要な倉庫作業取引についてはこれを継続し、右債権回収に見合うだけの作業代金債務を負うに至るや、右倉庫作業取引をも停止したのである。これは、被控訴人が日通商事の右債権回収策に加担したものということができる。してみると、結局、日通商事は自己の債権を回収するため、近畿運輸に対する差押債権者等の債権者を詐害する目的で、右売買契約ないし右相殺予約をしたということができる。

4  (権利の濫用)

仮に、前記売買契約及び本件相殺予約ないし本件当然相殺の合意が有効であるとしても、右相殺予約ないし当然相殺の合意に基づく相殺は、権利の濫用であり、無効である。その理由は、以下のとおりである。

(1) 被控訴人及び日通商事は、本件売買契約書が作成されたとされる昭和六一年二月一二日の時点では、近畿運輸の代表取締役鎌田俊治が道路運送車両法違反で警察に逮捕されたことや近畿運輸が滞納税金のため西神戸財務事務所から差押を受けたことを知り、近畿運輸の信用悪化を十分承知していた。そして、すでに、被控訴人は、同年二月四日には近畿運輸との取引を停止しようと考えており、日通商事は、同年二月一〇日には近畿運輸に対する石油製品の販売を停止していたのである。

それにもかかわらず、その後、日通商事は、近畿運輸との石油販売取引の継続を前提とする内容で、近畿運輸の営業の停止を期限の利益喪失事由とする本件売買契約(その相殺条項は日通商事の近畿運輸に対する債権をもって近畿運輸の被控訴人に対する債権を相殺できるという通常一般にはみられない内容のものとなっている。)を同年二月一二日付けで締結し、被控訴人は、近畿運輸との倉庫作業請負の取引だけは同年三月二〇日まで継続したのである。これは、被控訴人が、日通商事の近畿運輸に対する石油代金債権額に相当する額まで、被控訴人の近畿運輸に対する作業代金債権を増加させたうえ、日通商事が相殺にかこつけて自己の近畿運輸に対する債権を回収しようとしたものであるといえる。右のような相殺は、その意図に背信性があるといわなければならない。

(2) 右相殺条項を含む本件売買契約は、破産法一〇四条の規定の趣旨からみて著しく不当な契約であり、右契約に基づく相殺は債権者平等の原則に反する結果を招来する。

(3) いわゆる駆け込み割引(銀行が、手形振出人の倒産を知っていながら、手形振出人の預金と相殺することを前提に、割引依頼人が所持している手形を割り引き、右手形上の債権と右預金とを相殺すること)は、相殺権の濫用として許されないとされている。(1)のとおりの本件売買契約に基づく相殺も、右駆け込み割引と共通する点があるから、相殺権の濫用というべきである。

(4) 相殺は、担保的機能を有するものであることから、受働債権を自己の債権の引当とする他の債権者の利益も尊重されなければならない。本件の相殺権の行使を許せば、善意の第三者は自己の債権回収が不能となる不安を常に持つことになり、安全でかつ円滑な取引が阻害されることになる。

八  再抗弁等に対する答弁等

1  抗弁に対する認否3及び再抗弁1ないし3の主張は、いずれも争う。

控訴人のこれらの主張は、いずれも、〈証拠〉の石油製品売買契約書が作成された昭和六一年二月一二日時点において、すでに日通商事には近畿運輸との石油製品売買取引を継続する意思はなかったという点を基本的な理由としている。たしかに、同月四日の近畿運輸代表取締役鎌田俊治の道路運送車両法違反の新聞報道や同日の西神戸財務事務所の近畿運輸に対する差押等により、そのころ、被控訴人及び日通商事において、近畿運輸との取引を早晩停止したほうがよいとの方針を抱いたことは事実である。しかし、右石油製品売買契約書記載の契約内容(特に、その一二条の相殺予約)は、右契約書の作成された昭和六一年二月一二日に至り突如として新たに合意されたものではなく、それまでの日通商事と近畿運輸との取引において、双方に了解、合意されていたものである。すなわち、右石油製品売買契約書の作成は、従前からの継続的な取引内容の確認行為にすぎなかったといわなければならないのである。したがって、昭和六一年二月一二日時点において、日通商事に近畿運輸との石油製品売買取引を継続する意思がなかったという点を捉えて、契約の不存在や錯誤、心裡留保、公序良俗違反による契約の無効をいう控訴人の右各主張は、いずれも失当である。

2  再抗弁4(権利の濫用)の主張を争う。

控訴人の権利の濫用の主張は、近畿運輸についての新聞報道及び西神戸財務事務所からの差押のあった昭和六一年二月四日以降、被控訴人とその子会社日通商事とが、いわばグルになって本件相殺による抜け駆け的な債権回収を図って〈証拠〉の石油製品売買契約書を慌てて作成したこと、それゆえ、本件相殺は他の債権者を害する詐害的なものであることを基本的な理由にしている。しかし、右1で述べたとおり、右石油製品売買契約書記載の契約内容は、右契約書の作成された昭和六一年二月一二日に至り新たに合意されたものではなく、それまでの日通商事と近畿運輸との取引において、双方に了解、合意されていたものを確認したものにすぎなかったのである。控訴人の右主張は、誤った基本的発想に基づいており、失当である。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一〈証拠〉によれば、控訴人が近畿運輸に対し請求原因1記載の租税債権を有していることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

請求原因2ないし4の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二抗弁について

1  抗弁1(一)の事実のうち、日通商事が被控訴人の子会社であることは当事者間に争いはなく、〈証拠〉によれば、抗弁1(一)のその余の事実(被控訴人の運送業務の下請作業を継続して請け負っていた近畿運輸に対し、日通商事は運送用車両の燃料石油を継続して販売しており、昭和六一年三月二四日現在、日通商事は近畿運輸に対し、石油代金債権金一二八万五九五五円を有していたこと)が認められる。

2  抗弁1(二)(1)ないし(4)(相殺予約の各合意)及び抗弁2(二)(1)ないし(4)(当然相殺の各合意)の事実について判断する。

〈証拠〉によれば、抗弁1(二)(4)の事実(昭和六一年二月一二日、日通商事及び近畿運輸の二者は、日通商事の近畿運輸に対する石油製品販売に関し、次のとおり合意した。①(期限の利益の喪失) 近畿運輸において(a)手形小切手の不渡りが発生し、又は、支払を停止したとき、(b)差押、仮差押、仮処分、競売の申立を受けたとき、(c)破産、和議、会社更生、整理の申立がなされたとき、(d)営業を停止したときのいずれかに該当する場合は、近畿運輸は、日通商事からの通知催告なしに期限の利益を失い、直ちに日通商事に対する債務のすべてを支払わなければならない。②(相殺) 日通商事は、近畿運輸に対する債権を、日通商事の親会社である日本通運株式会社各支店にある債務と相殺することができる。)を認めることができる。そして、右①②の特約を総合すると、右合意は、近畿運輸について信用を悪化させる所定の事由が生じた場合において、日通商事の近畿運輸に対する債権につき期限の利益を喪失させ、他方近畿運輸の被控訴人に対する債権については期限の利益を放棄して、相殺適状を生じせしめ、その後の相殺権者の相殺の意思表示によって右相殺適状のときまで遡って相殺の効力を生じさせるものすなわちいわゆる相殺予約を定めたものと解することができる(なお、右〈証拠〉の第一二条の文言が、後記のとおり「甲(日通商事)は(中略)相殺することができる。」となっていることによれば、右相殺予約の相殺権者は日通商事のみであると解すべきである。)。これに対し、控訴人は、日通商事は近畿運輸に石油製品を販売する意思がなくなってから、〈証拠〉の石油製品売買契約書を作成したのであるから、これに基づく売買契約は不成立となり、ひいては右売買契約の一部分を成す抗弁1(二)(4)の合意も不成立となる旨主張するが、後記認定のとおり、近畿運輸は、昭和五六年ころ日通商事と口頭で石油製品の継続的売買契約を締結し、この契約を昭和六一年二月一二日時点においても継続しており、前記〈証拠〉によれば、現に翌二月一三日にも日通商事は近畿運輸に対し右継続的売買契約に基づき軽油を販売していることが認められるから、右石油製品売買契約書が作成された昭和六一年二月一二日時点において、日通商事は近畿運輸に対して石油製品を販売する意思を全く喪失していたということはできない。そうすると、控訴人の右主張は失当であるということになる。

〈証拠〉によれば、日通商事は昭和三三年一〇月二〇日被控訴人の商事部門から独立した被控訴人の子会社であり、被控訴人は日通商事の株式を昭和五五年まで九五パーセント、同年以降約八三パーセントの割合で保有し、日通商事の役員は殆ど被控訴人の役員、従業員で占められ、日通商事の本支店の殆ど全部が被控訴人の本支店と同一場所に存在していること、被控訴人と昭和三六年頃から運送作業請負の取引を始めた近畿運輸は、その業務量の殆ど全部ないし約七五パーセントが被控訴人からのものであり、その事務所も被控訴人から貸与されているので、被控訴人の下請会社といえること、近畿運輸は、昭和五六年ころから被控訴人の下請として長距離輸送の仕事もすることになり、遠隔地での給油に便宜なこともあってそのころから被控訴人の子会社日通商事と石油売買取引をするようになったことが認められる。しかしながら、〈証拠〉によれば、近畿運輸と日通商事との間の右石油売買取引については、昭和五六年ころから昭和六一年二月一二日までの間、契約書が作成されたことはなく、口頭で継続的売買契約がなされていたにすぎないこと、その間、近畿運輸は、日通商事に対する石油製品代金債務について、被控訴人に対する運送作業請負代金債権と相殺勘定する形態で支払ったことは全くなく、右運送作業請負代金債権の回収と全く別個に石油製品代金を日通商事に対して支払ってきたことが認められる。右事実をも考慮すると、前記認定の被控訴人、日通商事、近畿運輸の三者間の関係についての事実をもって、抗弁1(二)(1)(2)、同2(二)(1)(2)(昭和五六年ころの相殺予約ないし当然相殺の各合意)の事実を認めることはできず、他にこれらを認めるに足りる証拠はない。

本件相殺の合意の当事者に関して、当審証人奥田純夫は、日通商事の石油製品の販売促進のため、被控訴人が下請先に対して負担する作業代金債権を担保として、日通商事が右下請先に石油を販売することを、被控訴人は全国的、包括的に承諾しており、本件近畿運輸との取引についても、被控訴人神戸支店は、昭和五六年ころ右全国的、包括的な承諾に基づき、日通商事に対し、被控訴人に対する作業料債権を担保に近畿運輸との石油販売契約を締結するよう指示した旨供述するが、仮に右供述部分が真実だとしても、右のことは単に被控訴人と日通商事との内部関係に止まる事柄であって、これをもって本件石油製品売買契約及びこれに伴う相殺の合意の当事者が被控訴人、日通商事、近畿運輸の三者であると推認することはできず、他に右当事者が被控訴人をも含めた三者であると認めるに足りる証拠はない。かえって、前記〈証拠〉によれば、本件石油製品売買契約及びこれに伴う相殺の合意の当事者は、契約書に当事者として明記されている日通商事と近畿運輸の二者であることが認められる。したがって、抗弁1(二)(3)、同2(二)(3)(被控訴人、日通商事、近畿運輸の三者間における昭和六一年二月一二日の相殺予約ないし当然相殺の各合意)の主張は採用できない。

前記〈証拠〉(石油製品売買契約書)の第一二条によれば、本件石油製品売買契約に伴う相殺の合意の条項は「甲(日通商事)は乙(近畿運輸)に対する債権を甲の親会社である日本通運(株)各支店にある債務と相殺することができる。」と記載されており、右「相殺することができる。」との文言からすれば、右条項は、一定の事由があれば当然に相殺の効果が発生する旨を定めたものではなく、相殺権者の相殺の意思表示があってはじめて相殺の効果が生ずべきことを定めたものと解すべきである。したがって、抗弁2(二)(4)(日通商事、近畿運輸の二者間における昭和六一年二月一二日の当然相殺の合意)の主張は採用できない。

3  抗弁1(三)の事実について判断するに、〈証拠〉によれば、昭和六一年二月二八日付けの近畿運輸(代表取締役鎌田俊治)と被控訴人との債権債務相殺承諾書(〈証拠〉)が実際に作成されたのは、同年三月であることが認められるところ、〈証拠〉によれば、鎌田俊治は昭和六一年二月二八日に近畿運輸の代表取締役を辞任していることが認められるから、代表取締役の地位を喪失した鎌田俊治の作成した右〈証拠〉をもって、近畿運輸と被控訴人との間において抗弁1(三)にいうような相殺の合意が成立したとは認められず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

4  抗弁1(四)の事実については、控訴人において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

5(一)  抗弁1(五)(1)の事実について判断するに、右3で認定したとおり、近畿運輸代表取締役鎌田俊治作成の昭和六一年二月二八日付け債権債務相殺承諾書(〈証拠〉)が実際に作成されたのは、同年三月であり、そのときには鎌田俊治はすでに近畿運輸の代表取締役を辞任してその地位を喪失していたのであるから、鎌田俊治に対し相殺の意思表示をしたとしてもこれが直ちに近畿運輸に対する相殺の意思表示となることはなく、他に鎌田俊治が近畿運輸の代理人あるいは使者として相殺の意思表示を受けたとする証拠もない。そうすると、その他の点について触れるまでもなく抗弁1(五)(1)の主張はこれを認めることはできないことになる。

(二)  抗弁1(五)(2)の事実について判断する。

原審証人和田勝夫は、同人が、昭和六一年三月二四日、相殺の意思表示をするために近畿運輸の本店(神戸市長田区苅藻町二丁目一番一七号所在)にいったところ、すでにそこは閉鎖されていたので、神戸市中央区磯上通四丁目三―七にある同社の営業所に行き同社の代表取締役小見山賀根雄に対し相殺の意思表示をした旨供述するが、仮にこの供述部分が正しいとすれば、日通商事の従業員である和田勝夫は、右事実を同社大阪支店に報告し、同社大阪支店はこのことを知っているのが当然と思われるにもかかわらず、〈証拠〉によれば、同社大阪支店が昭和六一年三月二八日付けの相殺通知書を閉鎖されていることが明らかな近畿運輸の右本店に翌二九日に郵送していることが認められるし、また、〈証拠〉(回答書)によれば、被控訴人は、控訴人宛に同年五月二二日付けで出した右回答書に、和田勝夫が昭和六一年三月二四日に近畿運輸に対し相殺の意思表示をしたことを記載するのが通常であるのに、これを記載せず、不到達の昭和六一年三月二八日付け相殺通知書の発送については記載していることが認められるから、右各事実に照らすと、原審証人和田勝夫の前記供述部分はにわかに信用することができず、他に抗弁1(五)(2)の事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)  抗弁1(五)(3)の事実について判断するに、〈証拠〉によれば、昭和六一年八月二一日、日通商事が、後に判明した金二万五八四四円の債権を加えた合計金一二八万五九五五円の同社の近畿運輸に対する債権と、近畿運輸の被控訴人に対する債権とを対当額において相殺する旨の意思を近畿運輸代表取締役小見山賀根雄に対して表示したことが認められる。

6  (相殺予約の対内的効力)

ところで、控訴人は、日通商事と近畿運輸の二者間で、日通商事の近畿運輸に対する債権で近畿運輸の被控訴人に対する債権を相殺することができる旨の相殺予約の合意をしたとしても、このような二者間の相殺予約の合意は効力を有しない旨主張するので、この点につき判断する。

甲が乙に対して債権を有し、乙が丙に対して債権を有する場合、甲と乙の二者が、その間の合意のみで、甲は甲の乙に対する債権で乙の丙に対する債権を相殺することができる旨の相殺予約をすることもでき、この相殺予約の効力は甲乙丙の三者に及ぶが、甲が丙の債務を消滅させるについて利害の関係を有しないときには、丙の意思に反して相殺予約をすることはできないと解すべきである。なぜならば、民法四七四条が、債務の弁済は第三者もこれをなすことができるが、利害の関係を有しない第三者は債務者の意思に反して弁済をなすことを得ずと定めている趣旨は、第三者の弁済は、これによって債務者が別段不利益を被ることはないから、一般的に許されるが、債務者が他人の弁済により恩義をうけることを潔しとしない場合や債務者が第三者の苛酷な求償権の行使にさらされる場合を考慮し、利害の関係を有しない第三者は債務者の意思に反して弁済をなすことはできないとしたことにあるところ、右相殺予約に基づく甲の相殺は、第三者の弁済と同様に債務者丙に不利益を及ぼさないで丙の乙に対する債務を消滅させるものであるから、民法四七四条の右趣旨に則して考えれば、丙を当事者から除外して甲乙間だけで、甲が甲の乙に対する債権で乙の丙に対する債権を相殺できる旨の相殺の予約をすることができるとしてよいが、丙の債務を消滅させるについて甲が利害の関係を有しないときには、丙の意思に反して相殺予約をすることはできないとすべきことになるからである。

そうすると、本件においては、日通商事は被控訴人の債務の弁済につき法律上の利害関係を有しないから、被控訴人の意思に反して相殺予約をすることはできないが、そうでない場合には、日通商事と近畿運輸の二者は、右二者間の合意で、日通商事は日通商事の近畿運輸に対する債権で近畿運輸の被控訴人に対する債権を相殺することができる旨の相殺予約をすることができるということになる。そこで、右相殺予約が被控訴人の意思に反するか否かを検討するに、これが被控訴人の意思に反していると認めるに足りる証拠はない。かえって、前記認定のとおり、日通商事は昭和三三年一〇月二〇日被控訴人の商事部門から独立した被控訴人の子会社であり、日通商事の株式は昭和五五年以降約八三パーセントが被控訴人に保有され、日通商事の役員は殆ど被控訴人の役員、従業員で占められ、日通商事の本支店の殆どが被控訴人の本支店と同一場所に存在していることなどの関係が右両者間にあり、本件相殺予約の効力を認めることが日通商事の債権回収に資することになることに鑑みれば、本件相殺予約は被控訴人の意思に反していないものと認められる。してみると、日通商事と近畿運輸の二者間で合意された本件相殺予約は、被控訴人をも加えた三者間においては有効ということになる。

7  以上によれば、日通商事は、近畿運輸との間で昭和六一年二月一二日に締結した相殺予約に基づき、近畿運輸が手形の不渡りを出した同年三月二〇日、日通商事の近畿運輸に対する債権と近畿運輸の被控訴人に対する債権とを相殺する権利を取得し、同年八月二一日、近畿運輸に対し、同社に対する債権金一二八万五九五五円と、同社の被控訴人に対する債権とを対当額において相殺する旨の意思表示をしたことが認められる。

8  (相殺予約の対外的効力)

控訴人は、本件相殺予約が当事者間で有効であるとしても、右相殺予約をもって差押債権者である控訴人に対抗できないと解すべきであると主張するので、この点につき判断する。

甲が乙に対して債権を有し、乙が丙に対して債権を有するとき、甲と乙の二者が、その間の合意のみで、甲は甲の乙に対する債権で乙の丙に対する債権を相殺することができる旨の相殺予約をしても、この相殺予約はその後乙の丙に対する債権を差押えた差押債権者に対抗できないと解するのを相当とする。その理由は次のとおりである。

債権が差押えられた後にも第三債務者は、民法五一一条所定の場合の外、債務者に対する反対債権をもってする相殺の効力を差押債権者に対抗できるとされているが、これは相殺の担保的機能に由来している。すなわち、二当事者が互いに同種の債権を有するときは、右両者は右両債権を対当額で簡易、公平に決済できると信頼し合っており、この信頼は一方債権者の資力が悪化して債権差押を受けたときにも保護されるべきであるから、差押後の相殺も差押債権者に対抗できるとされているのである。ところが、右のごとく甲、乙、丙の三者間に跨がる二つの債権は、互いに相対する関係になっておらず、甲、乙、丙三者の合意で相殺予約をする場合はともかくも、甲と乙の二者の合意のみで、甲は甲の乙に対する債権で乙の丙に対する債権を相殺することができる旨の相殺予約をしてみても、右相殺予約には丙の意思表示が欠落しているから、右三者間には右両債権が対当額で簡易、公平に決済できるとの信頼関係が形成されるものではない。そうすると、右二者間の相殺予約は、相殺の効力を差押債権者に対抗するための基盤を欠いていることになる。また、右二者間の相殺予約に差押債権者に対抗できる効力を認めると、甲と乙の二者間の合意のみで乙の丙に対する債権を事実上差押ができない債権とすることができることになるが、これはあまりにも差押債権者の利益を害することになる。

してみると、本件において、前記のとおり、日通商事と近畿運輸の二者は、昭和六一年二月一二日、日通商事は同社の近畿運輸に対する債権で近畿運輸の被控訴人に対する債権を相殺することができる旨の相殺予約をし、日通商事は、同年三月二〇日右相殺予約に基づき相殺する権利を取得し、控訴人は、同月二五日近畿運輸の被控訴人に対する債権を差押え、日通商事は、同年八月二一日近畿運輸に対し、同社に対する債権金一二八万五九五五円と、同社の被控訴人に対する債権とを対当額において相殺する旨の意思表示をしているから、右二者間でなされた本件相殺予約に基づく相殺は、差押債権者である控訴人に対し、その効力を対抗できないことになる。そうすると、被控訴人の抗弁は結局すべて採用できないことになる。

三以上によれば、その余の点につき判断するまでもなく、控訴人の本件請求は正当であり、これを棄却した原判決は失当であって、本件控訴は理由があるから、民事訴訟法三八六条により原判決を取り消して控訴人の本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を適用し、仮執行宣言については同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大久保敏雄 裁判官妹尾圭策 裁判官中野信也)

別紙〈省略〉

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